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常識の定義。
2009.01.06(tue)
僕は前々から巷に広がる【常識】という考えが好きではありません。

よくテレビなんかでクイズ問題があると、
簡単と言われる問題を解けないと「常識問題だ」と馬鹿にされる。

でもはたしてそれは常識なのでしょうか。

もちろん知識は知らないより知っていた方がいい。

ただ知らない事の方が断然多いこの世の中で、
どうして自分が知っているだけでそれを常識と呼べるのでしょうか。


人はそれぞれ違う道を歩き、
知っている知識、体験した出来事が違います。

なので当然、持っている知識が違うのです。

だから僕は、IQ的な問題に対して【常識】という言葉を使うのはやはり腑に落ちない。
知っているか知らないかの差だし。


じゃぁどういうのを【常識】と呼ぶのでしょうか。


そこで僕は思ったんですよ。



心の知能指数EQこそが常識になるべきだと。

例えば電車の中でウォークマンの音量を下げるとか。
お年寄りに席を譲るとか。

困っている友人がいたら手を差し伸べるとか。



こういう、知識じゃなくて人としての温かい行為が常識になるべきなんじゃないのかなぁ。


どんなに知識を持っていようとも、
人間的に問題を抱えている人を常識人と呼んでいいのでしょうか。

徳川家康が何をしたのか知っている人が、おばあちゃんに席を譲らない。
国内の米の生産高一位がどこか知っている人が、動物を蹴る。

どんなに三平方の定理が使えようとも、
夏目漱石の著書を読んでいようとも、

人に迷惑をかける人が一体どうして【常識人】になるのか。


もう一度いいますが、知識はないよりあった方がもちろんいいです。
そこは否定しません。

でももし周りで自分が知っている知識を知らない人がいたら、
その人を【非常識】だとか【常識がない】と決めつけるのはやめた方がいいと思います。

絶対にその人が知っていて自分が知らない事もありますからね


どうして世間に蔓延る常識の定義がIQになってしまったんだろう。
これがEQにシフトしてくれたら、もっと心の豊かな人が現われそうな気もするんだけどな

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