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臆病な白虎。~蛍と遭遇~
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教育の在り方
2010.12.29(wed)
本年度最後の記事は、少し真面目な話題で締めくくろうと思います。

そのテーマは、「教育の在り方


非常に大雑把ではありますが、今二つの教育の方法があるとします。

A. 自分自身で勉強を進め、試行錯誤をしながら進めることで幅広く知識を得ていく方法
B. 学ぶべき事柄を教えてもらい、それをベースに自ら知識を広げていく方法

A案とB案、皆さんはどちらが正しいと思いますか?


そうです、正解なんてありません。

どちらも正しいと言えます。


しかし対極の考え方であるため、自分がどちらの手法に適しているのか、というのはあると思います。

僕は間違いなくB派です。
自分の勉強スタイルとして、Bのやり方が効率的で自分に適していると感じている。



もちろんAを否定したい訳ではありません。

Aが必要な時も当然あります。
それは誰も知らない新しいことをやり始めるときなどがそれにあたります。



なぜ、こういう話をしているのか。


それは、自分を育ててくれている先輩Xさんの教え方が物議を醸しているからです。

Xさんは断固としてAの考え方を主張。

それ以外を受け付けません。

僕は僕なりにB案を主張しているのですが、
「得られる知識が3分の1になる」などの理由によって断固としてA案を支持しています。


それがXさんの生きてきた中で培われた成長方法であるので、
それ以外に成長する術はないと感じているようなのです。


しかし、A案は間違ってはないと思うけど、ついていける人も多くはないと思うんですよね。。。。

ベースのない人にそれを求めるのは正直酷な話です。

何を勉強したらいいのかわからない。
勉強したとしても、ある程度の経験がなければ深堀することも厳しいと思います。

同時にモチベーションの維持という問題もあります。

僕は大学院という環境でもまれていた分、精神面でへこたれることはありませんが、
恐らくへこたれる人も結構な割合でいるのではないでしょうか。

事実、Xさんから教えていただいていた方々でついていけなくなってしまった人も数名。

全てが全てXさんのせいだとは思いませんが、
A案だけを押しつけてしまう点に関しては賛同しかねます。



確かにXさんが主張するような、誰も教えてくれない状況に今後なった場合、どう対処するのか、
という考えも一理あります。

今のうちからわからないことは自分で対処できるようになっておけ、という気持ちもわからなくもありません。

が、如何せん主張したいのは、知識のベースがない人にそれを求めるのは酷だという話です。



僕からするとAは極めて非効率に感じてしまう。。

何度も言いますが、否定はしませんよ?


でも、誰かが知っている知識に関して同じように頭を悩ますのは僕はナンセンスに感じてしまう。

例えるなら万有引力という知識が体系だてられているのにも関わらず、
教科書を見ることも許されず、「物体はなぜ落下するのだろう」と闇雲に勉強をしている感覚。

ニュートンが何年もかけて解明した事実を、
同じぐらいの時間をかけて解明する必要は果たしてあるのだろうか。


それならば先人が体系立てた知識を片っ端から学び、
それをベースにし、解明されていない新しい物事に試行錯誤しながら取り組むのが効率的であり、

人類はそうして進化してきていると思います。

そうでなければ偉大なる先人たちは、紙に知識を記録することなんてしなかった訳ですから。


先人たちが築き上げてきた知識を真似し学び、そして新しく開拓して次の世代へと受け渡す。

学ぶの語源は「真似」

それは先人たちと同じ苦悩を繰り返すのではなく、
先人たちが築き上げた知識を真似して覚えることです。


B 案が先にあっての A 案だと思います。

試行錯誤をすれば確かに知識は三倍多いかもしれない。

しかし3倍時間をかけているからとも言える。

モチベーションが保てない人であれば3倍以上の時間をかけるかもしれない。


どうでしょうか。

決して A 案も間違っているとは思いませんが、
時と場合と、習う側の人にもよると思うのです。

このテーマは非常に面白く、今後の教育の観点にとっても大切な議論になるのかなと思います。

ちょっと同期で行っている勉強会のテーマとして出してみようかな。



と、真面目な話を繰り広げさせていただきました。

そんな訳で、来年もよろしくお願い申し上げますmm
(どんな訳でしょう。笑)



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アイデアを出すということ
2010.10.14(thu)
今日は帰りにとある同期と出会い途中まで一緒に帰りました。

その帰路の途中、彼女が他の同期と5人で旅行に行った話を聞き、
そこでは「会社をどうしたいか」「会社でどんなことをすればいいのか」などの真面目な話をしたそう。

それ自体はすごくいいと思います。


が。


話を聞く限り全くもってブレーンストーミングになっていない。


とにかく、否定

折角のアイデアに対しても「それ誰が買うの?」と否定的なコメントしかしない。
結局一緒に帰った彼女もフルボッコにされたためにその後のアイデアは控えたそう。

それで本当にいいアイデアが出ると思っているのでしょうか。。。

正直、同期としてどうかとちょっと思ってしまいます。



3か月前に社長が将来のビジョンを語りました。

そのビジョンに対しても「具体性がない」「何が言いたいのかわからない」とか批判ばかりしていたそうで、
彼らは基本的に批判精神が強いようです。


そもそもビジョンに具体性を求めるのも違うと僕は思いますし、
少なくとも僕は社長の言わんとしていることはわかりました。

もしかしたら内容が理系的だったので、彼らがわからなかったのではないでしょうか;;



なんか話を聞いててがっかりしてしまいました。

前々からこのブログでも同期が批判しかせずアイデアを出さないと憂いていましたが、
いまだに何も変わらないんだなぁといった感じ。



ホント、批判することは簡単だと思います。

その批判の解決策を考える方がよっぽど難しく、でも何倍も楽しいです。


あるアイデアがあったら、

「なんで?」「なぜ?」をぶつけるのはそのアイデア自身が洗練されて評価される段階でいいんです。

最初は「なんで?」「なぜ?」が出たら、
それを「どうクリアするのか」を考えることが大事であり、ブレーンストーミングです。


そうやって批判することで考えた気になっているのははっきり言って間違ってると思います。
・・・かなり強く断言していますが、やはりそう思います。

同期にはもう少し成長してもらいたいなと偉そうに考えてしまいます。。




昨日の飲み会で感じたこと
2010.10.11(mon)
今日が休みということを失念してスケジューリングしていました。

なので昨日は新宿で呑み。。。。

18:30-20:30という飲み会のために、
僕の家の場合、15:30から支度を始め、帰宅できたのが24:00・・・
(15分の本屋立ち寄り時間を入れております)

たった2時間のために10時間を費やした訳です。


正直言って無駄が多すぎた。

ここで反省しなければならないことは、

1.休日を把握する
2.先を読んで忘れ物をしない
3.飲み会は一次会で帰る



1.休日を把握する

こんな三連休のど真ん中であれば新宿で呑みだなんてお断りしていました。
吞み会は基本的に休日ではなく、仕事帰りが効率的。

休日に費やすものではないと思う。
休日に呑むのは地元組で。

そうなるためにも先ず休日をしっかりと把握することを心に決めます。


2.先を読んで忘れ物をしない

これも大事。。。
休日呑みとわかった段階で、気持ちが落ちたんですけど、
折角外に出るんだから現在、駅近くに停めてあるバイクを回収しようと決めた。

そうすれば、バスで35分かかる片道も、15分になる。

しかも帰りのバスは時間的に夜行になるので運賃2倍。
720円払うなんて時間もお金も無駄です。



にも関わらずバイクのキーを家に忘れるという。

自分のバカさ加減に嫌気が差した瞬間です。



結局35分かけて、運賃も2倍で帰る羽目になりました。




3.吞み会は一次会で帰る

これは色々と議論を呼ぶかと思いますが、
個人的な見解ですと、二次会に参加する意味って基本的にないと思います。

自分にとっては時間もお金も浪費するだけ。

仲間と親交が深まるからいいじゃないか、と仰られる人もいるかと思いますが、
それは一次会でも十分ではないでしょうか。

2時間もあればメンバーの近況報告も聞けますし。


でも二次会はどちらかというと疲労感が広がり、なぁなぁな雰囲気が強くなる気がします。
もちろん僕自身、お酒に強くないので疲れやすいというのはありますが。


昨日も一次会で帰る気まんまんだったのに、


ラーメンを問われまんまと罠にはまってしまった。


これは自分の心の弱さと頭の弱さが露呈した瞬間です。

一次会であまり注文しなかったので食べる量がなかったので少し物足りなかった。
そんな中でラーメンの話題が出てしまい、
「ラーメンとか食べたいですね!」と思わず乗ってしまったのが運の尽き。

結局ラーメンという名の二次会になってしまい、新宿を出れたのが22:00過ぎ・・・・



とにかく色々と失敗が重なり、
時間を浪費した感の方があまりに強くなった呑み会でした。。

試験が近いというのもあって、それがより強く感じてしまったというのもあります。。。。


あまりに虚しくなってしまったので、
帰宅して25:00-26:00で勉強をした管理人なのでした。



・・・・こうして書いてみると、友人を減らしそうですね;

普通だったら友人と飲みに行けば楽しくやって2次会、3次会とやってくんでしょうけど、
時間という概念を意識しすぎて、そうできない自分がいる。

昨日の吞み会でも、「試験なんて次回(春)でいいじゃん」と言われたり、
話を聞く限り、あまり時間を大切にしていないようなニュアンスが多くあった。

来週の同じ試験を受ける人もいたんですけど、すでに諦め発言なんですよね。。。

それで春に持ちこしたら、それだけ時間を浪費するという考えには至らないのでしょうか。


あと昨日の飲み会ですごく嫌だなぁと感じたのは、歩く速度が極めて遅いこと。

ダラダラとしゃべりながら歩くのが楽しいということなんでしょうけど、
僕は苦手なんですよね;

話すのなら一次会の場でしっかり話す、帰るのならすぐ帰る。
そのオンオフがしっかりしていないのは、あんまり得意じゃない;

例えば早く歩くことで1,2分しか変わらないかもしれません。
(昨日の歩き方なら10分は異なるが・・・)

でも、その1,2分で一本早く電車に乗れた場合、10分の待ち時間が省かれます。
1本早いともしかしたら通勤快速に乗れるかもしれない。

その積み重ねで一日の中で30分という時間が生まれてくると僕は考えています。


通勤快速が来るかどうかなんて運じゃん、
それで早く行って乗れなかったら疲れた分だけ損じゃん、

などなどの反論も聞こえてきそうですが、
確かに運といった一面は否定できませんが、しかし少なくとも可能性は獲得できる。

ゆっくり歩けば可能性が0なんです。

1本早く乗り時間が生まれる可能性があるのなら、僕はそれに懸けたい。



だいぶ色々と話が広がってしまいましたが、
結論としては、時間を大切に、です。



人はあれもやった方がいいと好き放題言えるのです。
2010.09.28(tue)
ニュースとかの話題についていけないことがたまにあります。
それは現在の時間調節の中で、テレビ・新聞が見れていないことに起因している。

しかし正直仕方がないと感じている。。。


電車の時間の1時間半(×2)は勉強や読書に充てていますし、
仕事の他にも学校もありますから、これ以上多くのことをやるには自分のキャパでは厳しい。


しかもニュースを全く見ていない訳ではありません。

取捨選択を行っていて、
自分の業種に関係しているニュースは毎日のようにチェックしています。

ニュースが偏っているのはよくないとは思うんですけどね・・・



するとニュースの話題についていけないことを危惧し、
「もっとニュースを見た方がいい」とかなんやかんやと言ってくる。

一般常識を振りかざし、ニュースを知らないことは恥ずかしいとかとか。


そりゃそうかもしれない。
正論です。

でも時間が取れないのが本音なんです。。

それにニュースに興味がない訳じゃない。
大学の頃は毎日新聞を読む時間があった。

でも今はわずか15分でも惜しい。

iPhoneでカンタンにすぐニュースが見れる、と言うけど、

一つの記事をダウンロードしている15秒、30秒や1分の積み重ねを考えると
自分の業界以外のニュースを見ることが億劫になります。

それで例えば一日の新聞の量の情報を得るのに電車内で30分使うとする。

すると60分の電車だと残りが30分になる。

こうなると、60分勉強できるのと30分しか勉強できないとなると、
勉強に対する効率が僕の場合落ちてしまいます。

資格の勉強とかはしっかりと時間を取りたいのです。

そうした観点からも億劫になってしまう。。



こっちだって時間をいかに使うかを必死になって考えている。
どれだけ毎日時間がないと感じているか、普通の人にはわかってもらえないのが辛いとこですね。。

しかも「時間がない」と返答すること自体、本当に嫌。

時間は作りだすものですので、
時間がないという回答は落第点。

それがわかっているからこそ辛い。

もっと経済的なゆとりを生みだし、
会社から30分圏内に引っ越し、(可能なら15分圏内)
新聞も取れるようにしたいですね。

今はそのための不労所得を得るためのシステム作りを虎視眈々を進めていく他ありません。


いつか自分の方が正しいんだということを、
自分自身で証明してみせたいと思う。

ニュースの優先度を下げてまで毎日やっているタスクが、
将来を考えたときに絶対に必要であるということ。




考える力
2010.08.21(sat)
社内の同期が「頭のいい人ってどういう人か」という疑問を投げ掛け、
それについて色々ディベートをした金曜日。

その中で”考える”というキーワードがありました。

頭がいい人≒考えられる人というのは非常に賛成。



でも、やはり 考えられる人が少なくなっているのではないか と感じます。

例えば一つの例。


「起業したいって考えてる。
誰にも負けずがむしゃらに働いて、起業したい。
その中で、リクルートに入りたいと考えている。
なぜなら元リクルートで今起業して活躍しているひとが多いため」


少なくとも僕にはここに思考が見受けられません。

先ず「起業が目的になっている」という点です。
この場合、仮に起業できたとしても潰れてしまうのではないかと心配してしまう。

何のための起業なのか、起業して何がしたいのか、
社会の役に立つのか、ビジネスとして成り立つのか。

起業一つとっても、考えることは山ほどあると思います。


またリクルート出身で起業して活躍している人がいるからリクルート、

これも少し思考が足りていないように思えます。

リクルート出身で活躍している人が多いのかもしれない。

しかし、それはリクルートの中の何%なのか。
また入社して起業に必要なノウハウを本当に学べるのか。

まだ調査が足りていない、つまり思考がストップしているように思われる。


この例を申し訳ないながらも出させていただきましたが、
僕は起業を志す熱い意志を否定するつもりは全くありません。

むしろ若い人は起業をどんどんし、
日本の国内総生産に貢献して活性化させて欲しい。


さらに上の例で言うと、「リクルート出身で起業する人が多い」という仮定を導いた点は褒められることです。

きっと雑誌だったり本の中でそういったことを知ったんでしょう。
そうした貪欲に情報を得ていく姿勢もまた僕は応援していきたい。


ただもう一歩踏み込んで欲しいのです。


僕自身まだまだ未熟なので足りていないことが多々あります。
だからこそ思考を止めないよう意識しています。

世の一般論は本当に一般論なのか。

慣れが視野を狭くしていないだろうか。

頭から決めつけていないだろうか。


思考はいくらでも続きます。

そのことは忘れてはいけないと上の例を聞いて感じました。



希望を捨ててはいけない
2010.07.11(sun)
うちの会社で先日、非常に大きなイベントが開かれました。
その中で一つ面白い話題がありまして。


それが現社長の後継者を育てる学校を社内に設立するというもの。


今後会社が長く存続するためには後継者は必要です。
それを今後10年をかけて育むというのが今の社長の考えです。

定員規模は300名。

非常に狭き門。
しかし僕はどうしても入りたいと考えています。

それは、
1.社長直々に指導して下さること
2.経営に深い興味があること
3.優秀な人材と巡り合いたいこと

などの理由からです。


最初は1,2の理由がかなり強いのですが、現在は3の理由が徐々に頭角を現してきています。
そこが本題。

というのも、同期でいい人材がいないことが挙げられます。



確かに学歴だけはそれなりにあると思います。
でも、それだけじゃどうしようもありません。

僕が求めているのは、

諦めない心と、考える力です。

この考える力というのが本当に同期に足りていない。


一言目に出るのが「無理」です。
この学校の話を振ってみても、

「新卒じゃ入るのは無理でしょ」

「どうせ300名もすでに決まってる」

こんな最初から考えることもなく諦めている。


この考えない思考法が僕ははっきり言って、嫌いです。

なるべく嫌いという言葉を使わずに生きてきたけど、
これだけは明言します。


何万人といる中で300人に選ばれるのは困難なことでしょう。
そんなことは目に見えています。

だから何。

違う、僕が聴きたいのは
「できない理由」ではなく「できるための知恵」なんです。

どうしたら新人でも入れるのか。
どうしたら300人に選ばれるのか。

なんでそれを考えない。

「(学校に)興味はあるけど無理」



その言葉が出た時点で無理でしょう。
可能性が1%も感じません。

頑張ったって無理なものは無理。
それなら頑張ってるお前はバカみたい。

と誰かが言うかもしれません。

でも僕は異論を唱えたい。


頑張らなければ1%の可能性もないが、
頑張って1%の可能性があるならその1%に懸けてみようよ。


それでダメだったらそれはそれ。
次も頑張ればいい。

人生には沢山のチャンスと選択が待っている。

でもその都度「できない」「無理」と決めつけていれば、いつまで経っても何も変わりはしません。



ドイツの哲学者ニーチェの思想にもあります。

一つの諦めは無限に続くのだ、と。


だから決して希望を捨ててはいけない。
無理と決めつけてはいけない。

できないことをできるようにするのがチャレンジでありビジネスです。

僕はそう思います。


そうした考えを持つ人材が同期に極めて少ない。
だから僕はより一層強く社長が設立する学校に行きたい。

学校に入るぐらい優秀な人材と交流を持ちたい。

そして、新卒でも諦めなければ学校に入れるんだということを今の同期に示したい。

諦めたらそこで試合終了と素敵な人は言っていますが、
まさにその通りです。

たった一回の人生ぐらい、諦めずに頭使って生きてみませんか。

と、僕のここ最近の愚痴でした。



否定から入る、それだけで一歩後退
2010.07.03(sat)
昨日は初めて会社の同期とカラオケオールまでしてきました。
今回の飲みの発起人の一人だったので、最後までいてやろうと思いまして。笑。

三次会のカラオケオールはかなり盛り上がりまして、
非常に楽しいものとなりました


ただ一次会では、これまたがっかりなコトが。

折角なのでこのブログで共有。



話は僕が行きたがった部署の話で、そこに行けなかったことについてでした。

同期の一人がそこの部署とメールのやり取りをし、
そしてそこの部署の大変さを肌で感じたみたいです。


そこで僕に一言。

「ニーシェには無理だよ」



とにかく無理を連呼。

それに便乗し、もう一人の同期も「ムリ」と入り込んでくる。


その二人は「経験を積まないと無理」ということを訴えてくるんですけど、
そんなことは当たり前で仕事を知らない僕は経験によって覚えなければならないコトなんて腐るほどあります。

そんなのは分かりきっています。

それこそ常の識でしょう。



でもその最初の発言が「ムリ」

そして「わかった」と何度も僕が言っても「ムリ」と何度も繰り返す。。。



人の話も聞かない上に、頭からムリと騒ぐあなた方からとやかく言われるのは正直むっとします。



この経験で僕はちょっと感じたんですけど、

鼻から「ムリ」と言葉に出る人に未来は薄いんじゃないかな。


無理と決めつけるだけでスタートラインから後退している。
ネガティブな感情で一歩さえも重い。

恐らくですが、将来的に「無理」が最初に出る人は出世もしないと思います。


例えば何か問題があったとします。
その問題に対してAさんとBさんが取り組む。

その最初の一言が、


A「経験を積んで取り組もう」

B「これは無理だ。経験を積んで取り組もう」


どうでしょう。
どちらも「経験を積んで取り組む」ことには変わりはありませんが、
僕にはBさんの一歩の方がネガティブで重い感じがします。

ちょっとした違いですが、
こうした否定的でネガティブな言葉を発してしまうと、

それを一番聴く自分の脳みそに悪影響は少なからずあると思います。


だから「無理」という言葉は極力使わない方がいいと思う。

人を傷つけるしね。


「君には無理」というより、

「経験を積んで頑張れ」といった方が人に好かれるしポジティブ。


アサーティブな表現を心がけるべきです。
※アサーティブな表現:人を傷つけないポジティブな言い回しのこと


無意識に「無理」とすぐに言葉に出てしまう人は、
少し意識して出さないようにしてみてはいかがでしょうか。

きっと未来はそれだけで少し明るくなる気がします



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